会議では意見を言えなかったのに、帰り道で同僚と話すと、言いたいことが次々に出てくる。そんな自分を見て、「やっぱり私は消極的な性格だから」と結論づけてしまうことはないでしょうか。
性格という言葉は、自分を説明する助けになります。でも、その説明だけでは、今日の自分に起きていたことを見落とす場合があります。
仕事・人間関係・毎日の過ごし方を見直す12の視点の一つとして、今回は、自分を一つの性格に閉じ込めずに見る、という人間の捉え方を紹介します。

同じ人でも、表れる姿はいつも同じではない

会議で黙っていた理由には、いろいろな可能性があります。考えがまとまっていなかったのかもしれないし、相手の強い口調に戸惑っていたのかもしれません。疲れていて、言葉を組み立てる余裕が少なかった可能性もあります。
一方、帰り道では、急いで結論を出す必要がなく、話を聞いてくれる相手がいた。そこで初めて、自分の考えを言葉にできたのかもしれません。
これをすべて「消極的だから」で説明すると、違いを生んだ状況が見えなくなります。「そういう性格だから仕方ない」と、自分が話せる条件まで考えなくなってしまうこともあります。
自分を知ることは、自分に短い説明をつけて終わることとは違います。
性格の傾向があることと、すべての場面で同じ姿になることは、別の話です。今表れている姿を知るには、その人がどんな状態で、誰と、どんな場にいるかまで含めて見る余地があります。
考えだけでなく、感情や身体も、その人の一部

私たちは、自分を説明するときに「何を考えたか」を中心に話しがちです。でも、頭では賛成していても、どこか気が重いことがあります。大丈夫だと答えながら、身体には疲れが残っていることもあるでしょう。
考え、気持ち、身体の状態は、いつも同じ方向を向いているとは限りません。どれか一つだけを正しいものにして、ほかを邪魔なものとして扱うと、自分の経験の一部が抜け落ちます。
たとえば新しい役割を任されたとき、「よい機会だと思う」と「怖い」は、同時にあってかまいません。怖さがあるから本当は望んでいない、とも、よい機会なのだから怖がってはいけない、とも、急いで決めなくてよいのです。
身体の感覚も、一つの答えを告げる装置ではありません。重さを感じたから選択が間違い、というように即断するためのものではなく、今の自分を考えるときに無視しない情報です。
自分の内側に、異なる動きがある。その複雑さを残したまま見るほうが、一つの性格の言葉より、実際の自分に近づける場合があります。
「どんな人か」には、「どう生きたいか」も含まれる

人を能力や性格だけで捉えると、今できていることの説明はできても、これから何を大切にしたいかが抜け落ちることがあります。
普段は口数が少なくても、「困っている人が置き去りになるのは嫌だ」という思いから、必要な場面で声を上げる人もいるでしょう。その行動は、話すのが得意かどうかだけでは理解できません。
ここで紹介しているのは、人を身体、感情、考え、その奥にある深い思いや、周囲とのつながりを含む存在として見る、一つの人間観です。性格診断の新しい分類や、科学的な測定方法を提示しているわけではありません。
人をどんな存在として見るかによって、自分に向ける関心も変わります。「私は何型か」だけでなく、「どんな関わりを大切にしているのか」にも目が向きます。その思いは、今の得意不得意だけでは言い尽くせないものです。
自分が何を大切に働き、どう選びたいかを考えることも、自己理解の一部になります。過去の自分を説明するだけでなく、これからの自分に関わる理解です。

自分の説明を、選択肢を閉じるために使わない

「一人で考えるほうが得意だ」という理解があれば、会議の前に考える時間を持つ相談ができます。その理解が、「だから人と話しても無駄だ」になれば、別の可能性を閉じてしまいます。
同じ自己理解でも、その言葉をどう使うかによって、自分との付き合い方は変わります。
もちろん、性格を表す言葉や診断が役立つこともあります。経験に名前がついて安心できたり、違いを人に伝えやすくなったりするでしょう。大切なのは、その言葉を自分の全部だと決めないことです。
会議で黙っていた自分も、帰り道でよく話した自分も、どちらかが偽物なのではありません。両方を含めて、自分にどんなことが起きていたかを見てよいのです。
「私はこういう人だから」で閉じる前に、その日の気持ち、身体、相手との関係、大切にしている思いも、話の中に戻してみる。そこから、自分の捉え方が少し広がることがあります。
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