子どもの頃、アイスホッケーの練習中にシュートを決めると、リンクのそばに止まっていた父の車から、パッシングの光が送られてきたことがありました。
その光を、私は40歳になってから、もう一度受け取ることになります。
新しい出来事が起きたわけではありません。ずっと自分の中にあった記憶が、違う意味を持って立ち上がってきたのです。
今日は、以前「Yamaya’s Radio」でもお話しした、私自身の集中内観の体験から、一つの記憶について書いてみたいと思います。
40歳で、自分の記憶をたどった

40歳のとき、私は7泊8日の集中内観に参加しました。過去の人との関わりを振り返り、自分自身と向き合う時間です。
最初から、深い気づきがあったわけではありません。初めのうちは、経験してみようという気持ちもありました。ところが、過去を思い出し続けるうちに、飽きや苛立ちが出てきました。
それでも、せっかくここに来たのだから、本気で向き合ってみよう。そう気持ちを切り替えた頃、父との関わりを振り返っていました。
私の中には長い間、自分は愛されていない、認めてもらえていない、という思いがありました。その思いを抱いているときには、自分を支えてくれた出来事があっても、それを支えとして受け取れていなかったのだと思います。
内観の途中で思い出したのは、大きな約束や特別な贈り物ではありませんでした。子どもの頃の、リンクのそばにあった一台の車でした。
リンクのそばから届いた光

小学校高学年から中学生の頃、私は北海道苫小牧市の学校のリンクで、アイスホッケーの練習をしていました。
父は練習が終わる頃になると、車でやって来て、リンクの近くで黙って見てくれていました。
あるとき、私がパスを受け、シュートを決めた。その瞬間、父の車からパッシングの光が届きました。
その記憶をたどったとき、私は、あの光を「見ているよ」という父からの合図として受け取りました。父の内心を断定することはできません。それでも私には、見守ってくれていた父の姿が、以前とは違って感じられたのです。
涙が止まらなくなりました。そして、自分の中から出てきたのが、「俺、愛されていたんだ」という言葉でした。
父との間に新しい出来事が増えたのではありません。すでにあった一つの出来事を、ようやく受け取れた。その感覚が、私にはとても大きなものでした。
出来事と、その受け取り方

この経験を通じて、私が見つめ直すようになったのは、自分が人との関わりをどのように受け取っているか、ということです。
車で迎えに来てくれていたこと。練習を見てくれていたこと。シュートのあとに光が届いたこと。それらの記憶と、「自分は認められていない」という思いは、私の中に同時にありました。
その思いが強いとき、私は、目の前の出来事をそれ以外の意味で見る余地を、持ちにくかったのかもしれません。
だからといって、誰もが過去を感謝に変えなければならない、という話ではありません。人との関係はそれぞれ違いますし、傷ついた経験まで、よいことだったと言い換える必要はありません。
私がここでお伝えしたいのは、自分が長く持ってきた理解だけで、一つの関係を決め切っていた可能性もある、ということです。あのときの私には、父との記憶を見直す時間が必要だったのだと思います。
今、受け取っている支えに目を向ける

この体験は、日々の仕事や人との関わりを考えるときにも、私の中に残っています。
言葉にして励ましてくれる人もいれば、必要な情報をそっと揃えてくれる人もいます。目立つ形ではなくても、誰かの行動が、自分の仕事を支えていることがあります。
そうした行動を、いつも自分が望んだ形で表してくれるとは限りません。だからこそ、相手の気持ちを決めつける前に、実際に何をしてくれていたのかへ、少し目を向けてみたいと思うのです。
最近、誰かに助けられた場面を一つ思い出すとしたら、どのような場面でしょうか。大きな出来事でなくても構いません。自分にとって当たり前になっていた、その人の小さな行動かもしれません。
父の車から届いた光は、私の中で、何十年もたってから意味を変えました。
今の自分のそばにも、まだ十分に受け取れていない支えがあるだろうか。あの光を思い出すとき、私は、その問いを自分に向けています。
この体験を詳しく話した「Yamaya’s Radio」の記事
これまで受け取ってきた支えを見つめる
同じ出来事でも、今振り返ることで受け取り方が変わることがあります。初回オリエンテーションでは、心に残っている経験や、今のご自身を支えている関係についてお話しいただけます。無理に意味や感謝の言葉を決めず、今どう感じているかを確かめるところから始めてみませんか。
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