【Yamaya's Radio】集中内観による気づきと変容 – 私が40歳で得た本当の愛の意味
- procoach info
- 3月21日
- 読了時間: 4分
更新日:3月21日
こんにちは、山家正尚です。
今回は、私の人生に大きな影響を与えた「集中内観」という修行体験についてお話ししたいと思います。
これが誰かの気づきや学びに繋がれば幸いです。
集中内観とは何か?
今から約20年前、私が40歳のときのことです。年末を控えたある日、私は7泊8日の集中内観に挑むため、ある研修施設へと向かいました。
集中内観とは、吉本伊信さんが浄土真宗の「身調べ」という行法を宗教色を取り除き、一般の人々にも開放したものです。
言い換えれば、自分自身の人生を深く掘り下げ、心の奥底にある思いや記憶を見つめ直すための修行です。
1日15時間、ひたすら自分と向き合い続ける。その時間は、想像以上に長く、そして時に苦痛を伴います。
しかし、この苦痛こそが真の気づきへと導くのだと、後に痛感することになるのです。
内観のスタート – 母親に対する内観

最初に与えられたテーマは「母親に対する内観」でした。私が5歳から40歳までの自分を順番に遡りながら、次の3つの問いに答えるよう求められました。
1. していただいたこと
2. して返したこと
3. ご迷惑をかけたこと
私の内観は、まず5歳、6歳の頃の記憶を辿ることから始まりました。
ある時、母親に頼まれて兄と一緒に買い物へ行ったことを思い出しました。しかし、途中で寄り道をしてしまい、買って帰ったアイスクリームは溶けてしまっていた。
母に叱られたあの日の光景が、鮮明に蘇ります。

このように、内観は幼少期から大人になるまでの記憶をひたすら辿り続ける行為です。
母親が終われば次は父親、そして兄弟、親族、自分自身と順番に向き合っていく。
その過程で自分の嘘や過ちも見つめ直し、心の奥底にある本当の感情を掘り起こすことになるのです。
内観の苦痛と覚悟の決意
最初は、「経験すればいい」といった軽い気持ちで取り組んでいました。しかし、3日目になると、ひたすら過去を思い出し続けることに飽きと苛立ちを感じるようになりました。狭い畳半分のスペースで、ただひたすら自分の内側と向き合い続けることの苦痛。
「このままでは何の意味もない。どうせなら本気で取り組もう。」
その決意が私の中でスイッチを入れることになりました。そして、その時に取り組んでいたのが「父親に対する内観」でした。
父親の愛に気づいた瞬間
私が小学校高学年から中学生にかけてのことです。北海道苫小牧市の学校のスケートリンクでアイスホッケーの練習を続けていました。

寒い冬のリンクでの練習。父親はいつも練習が終わる頃になると車をリンクの近くに止め、ただ黙って見守ってくれていました。
ある日、練習中にパスを受けてシュートを決めた瞬間のことです。父親の車からパッシングの光が私に向けて送られました。

その光は「ナイスシュートだ、見ているよ」という父親からの無言のメッセージだったのです。
この記憶が突然蘇り、私はただ泣き続けました。涙の理由は分からない。ただただ涙が止まらない。畳を掴むようにして泣き続ける自分がそこにいました。
「愛されていたんだ」という気づき
泣き続ける中で、心の中から自然と出てきた言葉がありました。
「俺、愛されていたんだ。」
この言葉を口にした瞬間、また涙が溢れ出しました。
私がこんなにも涙を流す理由は、自分自身が40年間もの間、「愛されていない」という思い込みを抱き続けていたことに気づいたからです。
「自分は愛されていない」「誰も自分を認めてくれていない」
そんな思いに縛られて生きていた。
しかし、実際には違いました。
私はずっと愛され、見守られていたのです。
ただ、その愛を正しく受け取れていなかっただけでした。
気づきから得たもの
この内観による気づきは、私の人生を大きく変えるものでした。自分の心に根付いていた「愛されていない」という思い込みが、どれほど自分を苦しめていたのかを痛感したのです。
それ以来、他者からの愛をどう受け取るか、自分の存在をどう捉えるかを見つめ直すことの重要性を強く感じるようになりました。
最後に
あなたはどうでしょうか?
日常の中で、自分が受け取っていない「愛」や「支え」があることに気づいているでしょうか?
時には、自分自身と向き合う時間を取り、心の中をじっくりと覗いてみることが大切です。もしかしたら、あなたの中にもまだ気づいていない大切な何かが眠っているかもしれません。
ぜひ、勇気を出して自分自身と向き合ってみてください。私がこの経験から得たものが、あなたにも役立つことを願っています。
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